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20110925

 2011-11-05
小村宏樹生誕四十執念鬼年祭

2011.9.25(SUN)西九条ブランニュー
会費¥3,000(ワンドリンク+献花+おつまみ代含む)

●二部(ファンの方と音楽関係者の皆様)
OPEN 18:30 / START 19:00

DSC_0498.jpg


音鬼やVariable MessiahでGuitarを弾いてらしたHirokiさんの追悼イベントでした。


謹んで哀悼の意を表します。

ということが大大大前提の文章であります。


思い出が浅い分
行くべきでないと思った のと
しかし故人を偲ぶ思いが皆無ではなく
行かずに家で悶々とするよりは行ったほうが絶対にいい のと
バリミサと音鬼の曲聴けるんだったら行きたいなぁっていうタダのお客さんとしてのわたくしと

ぐるぐる考えてこういうときはもう行っておこうと思って

それが良かったのか悪かったのかはいまだにわかんないね。

悲しさ、もあるけど
いたたまれなさ の方が大きかった。

本当は誰よりも受け止めるのに時間がかかる人が、
ファンに見守られてステージに立って、
目を見て、前を向いて、受け止めて、笑顔ですらあり

こういうときは本当に残酷だなぁと思う。
演ることも 見ることも。

表現、で昇華できない
1人のヒトとしての、現実の、悲しさはどこかに絶対にあって

それを抱えたままで前向きに送り出そうとする方々や交流のあった方々を見て
パフォーマンスの素晴らしさはそれ単体で受け止めながらも これはいたたまれない。と思った。

このハコを一歩でも外に出たら、と考えるといかなる事象も、表現、であり、2.5次元。
虚構を虚構として愉しむ、嘘を嘘として愉しむ
バンギャルとしての根幹、みたいなものが
死という現実のもとまったく無効化されて胸が詰まる。

演奏されるたびに、だれかが歌うたびに、これは表現だ、表現だ、と認識するのに
その背景にあることの重大さ、で現実に引き戻され
でもその重大さ、はパフォーマンスの激しさ、素晴らしさに確かにつながるものなのであり

この生々しさは一生慣れないだろう。バンドとファンという隔たりの下の関係性である限り。
普段することの何をしても不謹慎だろね。
だからライヴの感想は公開するには適さず。

でもあと2本ライヴがあるので
あったことは記録しておきたいなーと
たった今の頭では思います。


自分の文章を読み返すと悲しみにくれただけのイベントみたいな雰囲気を醸していますが
出演者の方々がほんとに明るく話すので笑ったことも多くとても愛にあふれたイベントでした。
ありがとうございました。


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