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書くか書かないか

 2008-11-06
たぶん徒然草


作者である兼好法師がたまたまどっかの山奥の庵を訪ねて

ぜーんぜん人のいない俗世から切り放されたようなところだったけど

仏具を置くの棚の上にはちゃんと花が添えてあるし

あー人間こういうところで清らかにひっそり生きるのもいいなぁって思うの。


でもね


庵にはたわわに実がなった蜜柑の木が植わっていて

その蜜柑の木の周りにはそれは厳重に囲いが張り巡らされている。

つまり誰にも盗られないようにしてあった。


その蜜柑の木への物欲があさましく見えた兼好は

「この木なからましかばと覚えしか。」

ああこの木がなければよかったのになぁ。と思った。


欲の象徴である囲いじゃなくて、なんで木そのものの消滅を願うのか
そこがちっともわかんないところだった。

よく考えると、たわわに実っている蜜柑の木ってものが
それは誰もが絶対に独占したくなるような価値のあるものだったのかもね。
もしかしたら、筆者がそう思ったくらいに。

当時の価値観はよくわかんないけど

100人いたら100人があさましくなってしまうほど素晴らしい物があるのだとしたら
それはやっぱり100人分のあさましさよりも素晴らしい物の素晴らしさが悲しく思えてしまうものなのでしょうか。

だったら一番好きなものには近付かないってそういう原理だと思う。
好きっていうかなんだろう。一番大切にしたいもの。

あさましくもねたましくもない心穏やかに済む距離ってもんがあるじゃない。
あー、それを今しくじったなって思ったことが実はぼちぼちあって。
自分が100分の1であるというどうしようもない屈託が頭から離れない。
素晴らしいものの素晴らしさが悲しいんだからそれは悲しいことです。
たぶん因果応報的に病むしかない。

それでも

囲いの存在があさましくても
兼好法師が消滅を望んでも


それで蜜柑の木の素晴らしさが減ったわけじゃない。

悲しくても
素晴らしさは素晴らしさだ。



だから

まだいいのかなって思った。



しょーもない話。
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