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樹になりたいと願ったことがある

 2010-02-25
授業の教材で、ドナ・ウィリアムズという自閉症の人のドキュメンタリーを見たんです。
黒夢のタイトルくらいしか知らなかった。ごめん。



その人はとにかく言葉でものを言われるのがだめで、理解できないわけじゃないけどとりあえずだめ。こわい。
取材も内容をあらかじめ文書にして打ち合わせをし、必ずその通りに進行しないといけない。
文字は消えないから大丈夫なんだって。
カメラは決められた位置に固定。極力話しかけないことが条件。

「言葉は信用できない。」
「自然は人間のようにおしゃべりをしない。」
「私には私の感覚の世界がある」

と言って、同じく自閉症の夫とイギリスの片田舎で暮らしている。なんかそういう内容だった。
そこを極力美談に見せてくるところが、ああテレビ番組だなぁって思ったけれども

週に一回は二人でスーパーマーケットに行く。
ただし、かならずヘッドホンとサングラスをして音と光を遮断する。
でなければ一度にたくさんの情報を受け入れてしまいパニックに陥るから。
「飛び込んでくる色、文字、音の情報が強烈すぎて、それが食べ物なのか、わたしは本当にそれを買いたいのかがわからなくなります。」
ってな感じのナレーションが入るんだ。

それはどういう感覚なのか、っていうのをずーっと考えてしまって。
「ぜんぜんまったくわかりません。そういうことってあるんですね。」って内容でもない気がするし。


「言葉が恐い」っていうのは、嫌な言い方をすると、言葉が「あてつけ」の性質を持つからじゃないかなぁ。とおもう。
たとえばりんごが置いてあって、値札に「りんご ¥98」って書いてあるとする。
私が実際に触って、においと味と感触を確かめてはじめてそれはほんものの、世界中に一つも同じものがない実物の『りんご』になるのに、「りんご」って文字にして書いてしまうことによって、『りんご』の実物は「りんご」っていう文字に代表されてしまい、情報として他者に発信される。『りんご』はたべられるけど「りんご」はたべられないよね。だって、ニセモノだもんね。

で、その情報としての「りんご」を受け取った人は、自分の経験と想像から空想上の『りんご』を創り出し、解釈し、りんごを買う。


もし、感覚の世界に生きていたら、感覚で捉えたものが物事の本質だから、文字や記号なんて本質を歪めた空っぽなものに過ぎないの。
わざわざ本質を歪めるのは、伝達してだれかに「あてつける」ため。穿った見方をするとそう。
日記で語れば語るほどぜんぶ壮大な「そういった私」のあてつけ。
良く言えばエンターテイメント性ってやつだよ。ちがうか。
「あてつけ」がいっぱい飛び交って、「あてつけ」でやり取りをして、それが気持ち悪いって感覚はわからないでもないな。
わたしは感覚の世界がドナほどないので、ぜんぶ想像ですけど。

自分の感触を事実として書いているだけって自分でそう思っていても、言葉にした時点で所詮は広義にあてつけであり、本質からかけ離れており、それが楽しかったりかんにさわったりなんかいろいろな起伏があるのさ。たまに面倒だけど
『りんご』に近い「りんご」であろうとするよりも、率先して空っぽな印象溢れる「りんご」を綴りたいです。
今はそれが恐いとか寒いとか思わなくなった。
素敵なあてつけ待っている!
おい、HIY様のアメブロおもしろいな。

それでなんの話かすごい脱線したけどもういいや寝る。
電気の利用停止日が今日なんだけどまだぜんぜん電気使えるんだけどホットカーペットフル稼働してるけど
自分でブレーカー下げるんですかこれ。ええええ。
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