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聞いておくれ、僕の偽物。

 2010-06-09
バカ水溶液さんのこちらの記事に便乗しますです。



>本物、偽物。それをジャッジするのは自分の目だけで、
だから他人にひけらかす為に身につけられたブランド品は、
品物は本物でも身につけてるその人は偽物なんだそーだ。茉莉さんのご意見では。


すごく同意してしまったこれ。
自分の解釈を乗せるとすばり
「本物を本物という理由だけで有り難がる心こそニセモノ」
ということ。


いやね、個々人が個々人の独自の杓子定規と審美眼とまったく新しい価値観を持って生きろ!流されるな!だなんて死んでも言いませんよ。
そんなことしたらまず明日着る服も靴も自分で作れってはなしだし。

生活をするということは何かたくさんある量産された物の中から選ばなきゃいけない。全てはパターンだ。パターン。
オリジナリティを最優先したはずが、まったく他人と同じものが出ちゃうことだってあるだろう。
結果としての没個性はある程度は免れない。それはそれでいいんだ。
ただ、ある程度自分の価値基準を持って選んだものに対しては些細な美意識をもちましょーね。というはなしで。
ほんとうにジャッジするのは自分の目だけ。


例えば、さっきすれちがった人がヴィトンのダミエを持っていたんだけどさ、皮のカバンなんかいくらでもあるじゃないですか。

その人がスーツケース職人が始めたブランドの沿革とコンセプトとデザインと利便性と格調高さとブランド力、まで好きで最終的に皮のカバンの山からヴィトンのダミエを選んだのならそれはヴィトンにはやっぱりヴィトンの価値があると思うのだよ。
そういう人ならばそのカバンを持つにあたり化粧もきちんとするだろうし、みっともない格好しないし、合皮の安っぽい靴なんかぜったいにはかない。
っていうことになるはずだ。これは極論。

だけどきっと無条件に有り難がる心は目がくらんでる。

わたし、ステイタスとしてなにかを所有するという考えがどうも好きになれないです。
なにかを身に纏ったというだけでそのステイタスあたかも自分に移行するかのような錯覚に陥る怠惰。
すっぴんでロリータ服を着る人と何ら変わりがない。


物を選び取る自分のテーマさえあれば世の中宝の山だったりする。路上の石も宝石。
なければガラクタの山。
最終的に物を所有するのはゴミ箱ってこと。

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